2011年の総括
2011年
1月 J-AMScourt浅草での生活を開始
シェアハウス暦が長いと思われているかもしれないですが、実際は、
2010年8月〜12月『浅草ゲストハウス』に住んだの最初です。
J-AMSは、人数が60人と大規模。
慣れるまではとても時間がかかりました。
最初は、リビングに行くのもかなり勇気が必要でした。
というか、話できる人が3人くらいしかおらず、その人がいない時は、
行けなかった。
また、札幌でシェアハウス用物件、宮の森ハイム105号室201号室の工事も
行う。
3月のシェアハウスBUIE宮の森開業の準備のため、契約書や規約なども作った。
2月 シェアハウスBUIE宮の森 完成
2月14日、札幌に行き、イケアで買った家具を友人や親戚の力を借りつつ
セッティング。
感慨ひとしおだったが、認知度が低く、募集は苦戦。
3月 大地震、シェアハウスで絆を知る
3月12日の大地震。余震が続く中、また放射能についての報道も多く、
さすがに不安な日々。
でも、J-AMSの皆はリビングに集まり、不安な気持ちが和らいだ。
また色々と飛び交う放射能についての情報も、皆で共有し、デマに踊らされる
ことはなかった。
4月 シェアハウスマニアへの道
私と同じようにシェアハウスの魅力に取り付かれた内野さんと出会い、同志として
様々なシェアハウス論を語り合う。
また、徐々にJ-AMS浅草との人間関係も楽しくなってくる。
積極的に色々なイベントを仕掛け始める。
5月 札幌空想不動産スタート
自社メディアとして『札幌空想不動産』をリリース。
6月 シェアハウスBUIE宮の森がついに満室
5月のGW以降、突如問い合わせが増え、満室に。
人数が増えれば増えるほど、シェアハウスとして魅力は高まる。
故に、稼働状況が高ければ高いほど、より高くなるという性質があることを実感。
7月 シェアハウスBUIE学園前PJ始動
創作工房の齋藤様より紹介された豊平3条8丁目の築43年のビル。
即決。
売主との交渉も順調で7月第1週には、売り渡しの意思表示も得ていた。
問題は、融資。
東京の金融機関は、どこも門前払い。
もう駄目かとも思った。
だけど、絶対諦めたくなかった。
7月下旬。
「北洋銀行が興味を示している」との連絡が。
8月 北洋銀行との面会。シェアハウスBUIE宮の森の入居者様と初対面
北洋銀行からは、店舗部分が不安であると伝えられた。
それをクリアするための資料を作成した。
店舗系のテナントについての勉強を受験生のようにしまくった。
宮の森の入居者様との初対面。
自分が住むJ-AMS浅草と比較しても全く遜色のない素晴らしいコミュニティだった。
人数が10人と少ない分、むしろファミリー感が強かった。
9月 融資決定と退社
北洋銀行から融資について最終的な承認を得た。
同時に、勤めていた会社(株式会社リアルゲイト)に退職の意思を伝える。
創業メンバーとしてthe SOHOやエルプリメント新宿、THE SHAREなど、
全国的にも例を見ない個性的なプロジェクトに携わることができたことは、
今後の大きな糧。
10月 シェアハウスBUIE学園前、工事開始。起業準備。
厳密には、2010年11月に会社自体は作っていたが、実質的な創業の準備を行った。 しかも、ほぼJ-AMS浅草のリビングで。
PCなどの機材は、秋葉原のジャンクショップなどを活用して入手。
サラリーマン時代とは打って変わって、極端な節約生活に突入。
あとシェアハウスBUIE学園前の工事が開始。
WEBは、前述の内野さんに作成を依頼。
11月 帰郷と開業準備
11月11日。雨が降る中、バイクで大洗へ向かう。
これが15年ぶりの札幌生活への第一歩。
開業準備としては、主に家具の調達。
すっかりセカンドストリートが大好きになった。
12月 開業とSanoRebir
シェアハウスBUIE学園前がついにオープン。
同時に、1月8日〜15日のオープニングイベント『SanoRebir』に向けての準備
を開始。
ほとんど札幌にコネがなかったが、twitterを通じ、チQさんや清水隆利さんと
出会い、総勢30名近いメンバーが参加してくれることに。
ちなみにシェアハウスBUIE学園前の入居状況は、
かなり早いペースで埋まってます。
と、ざっくり振り返りました。
色々あったなーと思います。
実際は、これに加え、株式会社リアルゲイト社員としてのこともあるし、
川村健治個人のこともあったりする。
今年もより充実した一年にすべく、今日は、しっかりと年始の計画を立てたい。